ヴィンテージカー用のタイヤも扱っております。 お問い合わせ下さい。
こちらのタイヤはミシュランXWXになります。
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24♡ の謎。
先日、ミシュランTRXのタイヤトレッドを見ておりましたら、何やら記号が…
ミシュランタイヤには所々ムッシュ ビバンダム君が刻印されておりますが、その近くに発見したのです。
当、タイヤラボ研究所が調査(?)した結果では、恐らくTRXが発表,生産されたのが1980年の初頭ですからそれから24年間製造していますよ!という事なのでしょう。
…でも、シャレていませんか? だとしたらお洒落な演出ですね。
美しいタイヤの国 日本
今日は常磐道の某サービスエリアにて、スーパースポーツカーの撮影に行ってきました。
毎年恒例になるのですが、朝早くからオーナー自慢の愛車が大舞台にて燦然と輝いておりました。
新年の走り初めといいましょうか、オーナー様は皆で楽しそうに和気あいあい愛車の自慢話(?)に盛り上がっているようです。オレンジのムルシェラゴの方や、又その他の方に撮影を快く承諾いただき、新年にふさわしい画像を撮る事が出来ました。(ありがとうございました) 又、フェラーリオーナーであり、欧州車におけるブログでも有名なディドリ氏にもお逢いすることができ感激いたしました。
さて、題名にもありますように、考えてみると日本くらい沢山のタイヤの種類が揃っている(豊富な)国はまず無いと思うのです。
多種多様な車に見合う素晴らしいタイヤがこの国にはあるのです。我々は本当に幸せなのであります。
<美しいタイヤの国 日本>
2001 9月 ハラマRS(レーシングハラマ)
レストアされた ハラマRS(レーシングハラマ)。 イタリア語で JARAMA(ヤラマ)と発音します。
この車両は元開発テストドライバー、ボブ ウォレスの手によって製作されたといわれています。
2001 9月 ムゼオ (サンタアガタ、ランボルギーニ博物館)にて
「日本からはるばる来ました。」と言うと、「それはようこそ。」 なんと私たちだけのために開館して下さいました。
これはフェルッチョの精神だそうです。貸切。感動!無料。これぞまさしく感無料!(?)
ご存知 Miura P400SV (これは生前にフェルッチョが所有していたもの。ライトにはまつげがついています。)
2001 9月 ランボルギーニ本社
ランボルギーニ本社 私の母と
ランボルギーニ社は現在、車の製造以外には主にエアコンや電機製品などを製造しています。
これはその部門の本社正面になります。(実はイタリアではこちらの方が有名です。)
正面玄関前には生前の社長の思い出となる石碑があり、そこには好きだったミウラのデッサンも刻まれてありました。
2001 9月 スーパーカーの聖地へ。
ルノーのレンタカーをモデナで借り、モデナ> ボローニャ> マラネッロ> ミラノ> サンマリノ> サンタアガタ> ミラノ> モデナまで2000キロの旅。(スーパーカーの聖地へ。もちアウトストラーダも走りました。)
これはボローニャの山中で道に迷うの図。(なぜか笑顔!)ルノーはもちろん5MT。(もっとも僕は今までずっと左ハン+マニュアルMTだったので違和感なしでした。)イタリアでは8割以上がいまだにマニュアルのようです。新車でとても乗り易く絶好調でした。
P.S
その時、私はボローニャの山中にいた。 そう。…..9月11日。
ルノーに乗り山道を飛ばしていると、携帯電話が鳴りました。どうやらミラノに住む妹からのようです。
「お兄ちゃん大変!アメリカが、戦争よ!ニューヨークが大変な事になってる。」
なんでもワールドトレードセンターに飛行機が墜落したとのこと。こりゃ、大変だということで、急いでアグリツーリズモ(農家の離れが旅行者用に改装してある)の家に戻りテレビをつけました。「うーん、さっぱりわからん。ニュース解説が早口だし。」しかも片田舎ときて、テレビもろくに映らない…
なんとイタリアの空港が全部閉鎖。見通しがたたないそう。日本に帰れないかも!これには参りました。
…….でも、さすがのイタリア人。町(村)の人たちは全く気にせず平然としています。私には他人事には思えません。
さて。その後、どうにか飛行機に乗ることは出来ましたが、それはもう大変でした。
2001 9月 イタリア旅行
2001年9月 私は長年の夢であったイタリア旅行をついに実現させました。
移動は車を使い、マラネッロでは念願のフェラーリ本社、サンタアガタのランボルギーニ本社、そしてサンマリノのイモラサーキット(エンツォ.エ.ディノ.フェラーリ)等、すべて自分自身の運転のみで行くというもの。
車はレンタカー。予算の関係で今回は残念ながら、ルノー1800ccでした。(でも速かった。)
これはマラネッロのお土産やさんの前で。(朝早かったのでまだ閉まっていた!)
PS. イモラサーキットに到着したときは、あのタンブレロ(高速コーナー)をさがし、アイルトンセナのためにお祈りをささげました。
Lamborghini Countach Lp5000QV
私がはじめに乗ったのは1983年で白のLP400になります。タイヤテストのために何度か乗りましたが、正に異次元感覚。とてもエキサイティング!(やはりこれはキャブレターにかぎります。)